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2023.12.26

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【結婚式】挙式参加が引き寄せたウエディングプランナーのキャリア|東真央

私は転職で「ウエディングプランナー」になりました。

 

もともと「将来は高校の保健体育の先生になって、バレーボール部の顧問になり奈良県で優勝して春高バレーに連れていく!」という夢があり、大学は体育学部に。バレーボール一筋のキャリアを検討していました。

 

小学校3年生から始めたバレーボールも大学4年まで継続し「自分の道は、体育教師に進むためにあるんだ!」と突き進んでいたのですが、大学4年の夏、大阪の南港にある「アートグレイスウエディングコースト大阪」で行われた従兄の結婚式に参列したことで私の運命が変わりました。

 

 

結婚式のイメージ

 

私の中で「結婚式」というのは小さい頃に出席した叔父の結婚式で、記憶は全くありません。写真で見る金屏風がTHE結婚式というイメージで、小さな私は、白のフリフリがついたワンピースを着せてもらい、頭にはお花のカチューシャをつけてもらって見た目はぎこちないけど嬉しそうに写真に写っていました。きっとおめかしさせてもらって嬉しかったのだと思います。

 

しかし、それ以降結婚式に出席する機会が無いまま大学生になりました。その頃、結婚式を題材にしたテレビドラマや映画を目にすることが増え、「ウエディングプランナー」という仕事があることを知りました。

 

冒頭にも書いたように、この頃の私は体育教師をめざしておりましたが、ドラマや映画の中の結婚式は煌びやかで華やか、「なんだか自分が思っている結婚式からは時代が変わったみたい」と感じ、ウエディングプランナーがかっこよく見え、「こういう仕事もいいなー」と少しだけ思うようになっていました。

 

 

ゲストとしてのワクワク

 

ちょうどその頃、従兄の結婚式があると母に聞き、姉二人が「行きたい!参加したいとお願いしてほしい!」と頼んでおり、私も「部活があるけど休めそうなら行きたい!」と話し、念願叶って参加できることになりました。

 

参加が決まってからは、「結婚式に出る時の服ってどんなものを選んだら良いのかな?」「かばんはどんなもので行ったら良い?」「くつは?」「アクセサリーは?」「髪型は?」と考えることがたくさんありました。ただ、初めての結婚式参列準備は楽しみが多く、ワクワクしながら姉とワンピースを選んでいたのを覚えています。準備万端で迎えた結婚式当日。楽しみ過ぎて早く目が覚め、ドキドキしながら用意をしました。親族バスで大阪へ向かっている車内では、「どんな結婚式場かな?」「どんな料理が出るのかな?」とワクワクが止まりませんでした。

 

そして式場に到着すると、白くて綺麗で大きな建物の前にバスが止まり、「おめでとうございます!」とスタッフの方が出迎えてくれました。緊張しながらバスを降りると、そこは外国映画に出てきそうな景色でした。天井が高く窓も大きい!外には緑があってプールまである!!「なんて素敵な空間なんだろう!これからどんなことが起こるのかな?!」と感動しより結婚式が楽しみになったことを覚えています。

 

 

体感した結婚式

 

「挙式が始まります」と案内されたチャペルは真っ白で、祭壇の向こうに海が見え、それだけで感動しました。従兄はかっこいいタキシード姿で、奥さんは綺麗なウエディングドレス姿。生のオルガン演奏や聖歌隊の方々の歌声にも鳥肌が立ち、緊張しながら参列した挙式中は終始ドキドキしていました。

 

その後披露宴会場に移動すると、お家のようになっていて、プールもある。リビングですと案内された場所には、カラフルなドリンクが並び、まだ披露宴が始まっていないのに、ちょっとつまめるような小さなフードが綺麗に並んでいて、「ご自由にお召し上がりください」と笑顔で案内してくれるスタッフさんがいました。私は、「え!?披露宴が始まって料理が出てくると聞いていたのに、もう食べていいの!?」と戸惑いましたが、一口食べて感動。姉と大喜びしながら豪華な装飾の前であちこち写真を撮っていました。

 

披露宴が始まると、ミスチルの音楽が流れる中、従兄カップルが嬉しそうに登場してきました。音楽の絶妙なタイミングで二人が高砂に到着し、みんなが拍手!鳥肌が止まりませんでした。フレンチのフルコースを食べたのも初めてで、「これがフレンチか!」と少し恥ずかしいなと照れながらぎこちなくナイフ・フォークを使っていました。11品出てくる度に、なんて綺麗なお料理なんだろうと思いながら写真も撮っていました。

 

そのうちに、「この結婚式を動かしている人はどの人だろう?」と披露宴会場を見回すようになっていました。インカムをつけてかっこいい立ち居振る舞いの女性を見つけると、「あの人がウエディングプランナーらしいよ」と姉が言いました。私はその後、結婚式ももちろん楽しんでいましたが、気づくとその場にいたウエディングプランナーさんを目で追いかけていました。

 

それを見つけた姉に、「何?ウエディングプランナーになりたいとか言い出すの?」と言われ、図星。花嫁の手紙や新郎謝辞では涙が止まらず、もう私はその時には、「この結婚式を創る人になりたい!この場所でウエディングプランナーになりたい!!」とアートグレイスウエディングコーストの結婚式に魅了されていたのです。

 

 

私が夢見たウェディングプランナー

 

この結婚式をきっかけに、私の夢は体育教師からウエディングプランナーに変わりました。迷いがなかった訳ではないですが、結婚式から数日経ってもあの感動を忘れられず、私が感動を創る側になりたいと強く思うようになっていました。

 

その後の私は、ご縁があり名古屋の結婚式場でサービスの仕事に就くも、やはりベストブライダルで「ウエディングプランナー」になる夢を諦めきれず社会人1年目で転職をする決意をします。当たって砕けろという思いでチャレンジした面接に見事合格し、憧れ続けたベストブライダルで晴れてウエディングプランナーとして働くことが決まりました。

 

ずっと思い描いていた夢があったとしても、夢を変えることは間違いではなく、自分が目指したいと思うものがあるならばやってみよう・チャレンジしてみよう!と行動することが大切だと思います。

 

ウエディングプランナーになったその後のお話は、またの機会に…!!

 

 

この記事を書いた人

東 真央(ひがし まお)

東 真央(ひがし まお)

ブライダル学科専任講師 / 主任

東海地区の結婚式場でサービス・音響を経験し、株式会社ベストブライダルへ入職。ウエディングプランナーを15年担当。その後、本校に入職しブライダル科専任講師を務める。担当組数700組。

 

担当授業は、ブライダル科目全般。

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